あるノンフィクションを読んでいて、信仰心の篤い人物が、戒律で禁じられている盗みを繰り返すシーンがでてきた。なぜそれが可能なのかと言えば、「罪を冒しているからこそ、神に赦しを乞うのではないか」との説明が紹介されていた。 道徳教育の重要性を説く人びとが道徳的に行動しているようにはみえないとか、家族の大切さを訴える人が不倫してたりとか、いろいろ思い出す。自分の言動が褒められたものではないことを自覚しているからこそ、歯止めになりそうなものの重要性を訴えたくなるのだろうか。 もちろん、宗教、道徳、家族の重要性を説くからといって、その人が良くないことに手を染めていることにはならないのだけれども。